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日本気球連盟ロゴ日本気球連盟の歴史
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連盟の歩み 日本気球界の動き 世界
気球界
の動き
1969年 9月  京都イカロス昇天グループ制作の球皮ゴンドラに、北海道大学探検部制作のバーナーを搭載した 「イカロス」5号が洞爺湖付近で浮上。 
     69年-73年にかけ各地の大学探検部や社会人グループが個別に制作と飛行に挑戦。 
イカロス昇天グループ、北大探検部、慶応大探検部、未知の会、日大芸術学部、FAR EAST BALLOON CLUB等が活動 
1973年 4月  8団体で連盟設立概要を整理 
6月30日 未知の会(アフリカ風船飛行隊)がケニアを飛行 
9月7日 日本熱気球連盟が発足。理事長 島本伸雄ほか6名。(財)日本航空協会を通じFAIに加盟登録し、連盟の主たる連絡先を同協会内とする。 
9月15日 第1回総会 11団体35名出席 
10月15日 第1回安全委員会開催。翌日(財)日本航空協会の立ち会いで運輸省航空局と会議.自主的航空活動の認知と航空法の厳守を確認。 
10月15日 「熱気球の安全に関する基本案」を設定 
1974年 4月  外務局設置(現国際局)海外情報の入手活動を開始
7月  日本熱気球連盟として、日本初の熱気球フェスティバルを北海道上士幌で開催。5団体70名が機体持参で参加。併せて機関紙第1号を発行。 (未知の会、風まかせ、FEBC、未来圏飛行グループ、柏崎気球倶楽部) 
12月1日 有人熱気球設計製作安全基準、熱気球自由飛行安全規定、熱気球 係留安全規定、の3規定を安全委員会により設定。 
企画局を増設、同年12月21日に都内神宮外苑で初のバルーングロ-実施。 
1975年 2月1日 日本気球連盟と改名 
機体の登録制開始、気球保険研究、LPG法研究、気象研究などを開始。 
3月 9日 風まかせ、アフリカ、ケニヤ、タンザニアを飛行 
8月1〜3日 第2回 北海道上士幌熱気球フェスティバル開催。 JA-A0006-0015の6機。 200名参加。 
10月2〜12日 アメリカ アルバカーキ市の熱気球世界選手権に日本初参加。 この機会に初のFAIスポーツライセンスを申請発行 
11月1日 京都のBG空賊がオーストラリアに遠征、エアーズロック飛行に挑戦 
11月23日 渡良瀬遊水池で熱気球活動が活発化。初の渡良瀬バルーンミーティング開催。 
10月11日 熱気球が京都市上空を飛行。 
74年-75年にかけ、次々と気球団体が機体を制作、飛行活動を開始する。柏崎気球倶楽部、風まかせ、思考作の会、シャボン玉の会、中大探検部、京大飛翔会、空賊、立命館ダンデライオン、小田原空蝉クラブ、うららか、キャセイ航空気球クラブ、東京理科大気球クラブ、など22機、飛行165回。 
1976年 1月  会費値上げ¥4000に。(入会金¥1000) 会員数230名。 
4月  FAI-CIA国際気球委員会に市吉氏出席。最新の海外情報を報告。  国内事故は初心者的であり、操縦教育システム作りが急がれる。 
安全委員会 100時間機体検査要領を発表。 
8月  熱気球フェスティバル開催。 14機 140名参加 競技の関心が高 まり初の競技実施。まずはヘアーアンドハウンドから。 
9月  第1回ガス気球世界選手権開催。13ヶ国20機。日本から市吉氏他参加。 
10月  第1回琵琶湖横断レース開催。 11機120名参加。 しかし悪天候で中止。 
1977年 3月  P10(初心者) P20(経験者) の2段階の熱気球操縦技能証明制度および操縦インストラクター資格制度開始。7名認定。  越後風船一揆 初の雪上での熱気球大会開催。 
8月  熱気球フェスティバル開催。 14機170名参加。厳冬期の上士幌でも飛行開始。 
9月10〜18日 英国キャッスルハワードで熱気球世界選手権開催。市吉、高橋両他参加。 
10月  連盟の英語表記を「NIPPON KIKYU RENMEI」と決定。 
安全委員会を操縦教育と製作の2部門に分割。更に機体登録原簿、パイロット登録原簿の作成管理開始。 
1978年 機体登録53機 パイロット登録68名  国産アルミLPG容器が作られる。  第4回世界選手権はスウェーデンウブサラで真冬に開催。 
11月  第1回バルーンフェスタ九州開催。 
1979年9 4月  日本選手権規定、世界選手権代表選考規定(案)の設定を発表。 いわゆるNRS(個人技能差が競われ評価される制度)開始。 
安全委員会は有人自由気球滞空性審査基準(案)を発表 
5月  米国でゴードンベネットガス気球レース開催。市吉氏他参加。 
8月  上士幌バルーンフェスティバル開催。競技大会が定着。 
11月  航空協会主催の空のフェスティバル開催。連盟も参加。 
1980年 7月  指導者講習会を開催。飛行安全の徹底をはかる。 
11月  機体登録92機、NRS登録34名、大会4(小千谷、上士幌、琵琶湖、九州)  米国人による日本からの太平洋横断ガス気球飛行計画を発表。 2月に離陸で準備開始。 
P10(初心者)技能証を廃止。P20に限定。 
メンバーサービス局を開局。 
1981年 6月  米国バトルクリークで世界選手権開催。日本から5チーム参加。 
1983年  熱気球誕生 (人類飛行) 200年記念の行事企画として 日本の熱気球一覧を出版  北海道、渡良瀬、新潟、琵琶湖、佐賀 が大会定着  仏で熱気球世界選手権他 代表5名参加 
安全委員会が緊急対策連絡網の整備 およびパイロットニュース発行 
各地での安全普及にパイロットセミナーの開催を恒常化 
イカロス賞を神田道夫氏に贈呈 
1984年 群馬で2大会開催(館林スカイフェスティバル、伊勢崎バルーンミーティング) 
佐賀で初の国際大会開催 (佐賀インターナショナルバルーンフェスタ) 
佐賀で初の日本選手権 優勝大岩正和氏 
1985年 7月  競技役員養成に講習会開催を計画  米国ミシガン バトルクリークで世界選手権 代表5名参加機体登録200機 
1986年 4月  日本の佐賀で89年熱気球世界選手権 開催宣言  アジア各国(中国、インドなど)から大会案内 
世界選手権準備委員会発足 オブザーバー講習会開催 
7月  イカロス特別賞を記念贈呈  マルコム.フォーブス氏 金閣寺型熱気球持参で来日親善旅行 
安全委員会 英国を参考にトレーニングログブックを製作発行  富山県砺波大会、宮城県岩出山大会の開催 
九州で気球活動が活発化 各地でバルーンミーティング開催(阿蘇、都城、霧島、有明海超えなど) 
九州連絡会発足 
1987年 4月  イカロス賞を宮島元佐賀市長に贈呈  日中友好の熱気球飛行実施 (日本から2機持参) 
FAI-CIAに太平洋選手権開催を提唱 承認88年より開始  渡良瀬ジャパンカップ大会開催 
10月  中国で初の気球大会 日本から3機参加 
11月  安全委員会 パイロットハンドブック製作 
1988年 5月  地域懇談会を開催 地域との情報交流を行い活動を支援  オーストラリア建国200年記念熱気球大会開催 日本から4機参加 
安全委員会 事故報告の様式を統一化 
機体360機 会員1000名 パイロット420名 
10月  海外の大会参加の報告多数  5回ガス気球世界選手権(ドイツ アウグスブルグ)に市吉氏ら参加 
11月  佐賀大会で日本選手権開催  パラシュートリップ排気弁構造が普及 
1989年 1月  スイスシャトウドウ気球大会の日本バルーニスト参加 
3月  CIAにワールドレディスカップとパシフィック選手権の開催提唱         
神田道夫氏 モンゴルフィエ賞を受賞
4月  世界選手権は佐賀市,SIBFO,NKRで実施内容決定        
安全委員会 公認大会の安全飛行管理者を廃止        
各地で世界選手権へ向けオブザーバー講習会を活発に開催        
5月  ソ連邦リトアニアで気球大会開催 初参加        
9月  ヨーロッパ熱飛行船世界選手権をフランスで開催
11月  第1回スカイレジャージャパン開催(運輸省航空局後援) 
第9回熱気球世界選手権 佐賀で開催 18-27日         リチャードブランソンが熱気球太平洋横断計画を発表 
140機 選手650名 役員スタッフ710名 
1990年 1月  マルコムフォーブス氏逝去 
3月    真冬の北海道で日本選手権開催 
8月  夏の北海道大会は連盟直轄から開催地主催へ移行  カナダ世界選手権プレ大会で藤田氏2位          
9月  第6回ガス気球世界選手権 米国サウスダコタ州で開催大岩、市吉氏参加 
10月  福島県会津塩川で大会開催 
12月  安全委員会 機体登録を事務局に移管         熱気球富山湾横断 松田氏らBC蜃気楼 
1991年 1月  日本選手権出場資格に公認大会での役員経験義務化 
2月  リチャードプランソン バーリンドストランド 熱気球で太平洋横断 
10月  安全委員会 指導員の関連保険に加入  古川国際大会開催           カナダ ケベック州で世界選手権開催 選手と共に競技役員も多数参加          
12月  スペイン気球大会に日本から参加者 
1992年 2月  佐賀 再び世界選手権誘致に動き1995年開催をアピール          
丹羽文雄氏遺族よりの寄付金をもとに安全貢献者向け丹羽賞を設定   
4月  ベーリング海横断飛行に成功。藤田昌彦氏とTBSの秋山アナ(日本初の宇宙飛行経験者)他4名           
9月  フランスで開催の熱飛行船世界選手権に市吉氏参加          
米国メイン州で大西洋横断ロジェ気球レース開催 5機参加          
AM(ガス+熱の複合気球)世界記録続出 5,331KM 144時間          
95年米国バトンルージュでの熱気球選手権開催を中止          
1993年 8月  熱気球日本グランプリ開催(各地4地域の競技結果で総合成績を競う 
10月  スポーツ委員会を新規設定。大会公認、競技規定の一括管理(運営 記録管理 表彰など)            GPSが地表目視困難な雲上飛行を可能にし、飛行の可能性を拡大  米国ゴードンベネット気球レース開催 日本から市吉氏が参加           
1994年            モンゴルで日本との友好熱気球ツアー開催           
フィリピン気球大会に日本から参加   
3月  CIA 佐賀で97年に再度の熱気球世界選手権開催を決定           
安全委員会プロジェクトでパイロットの技能審査制度の改革に着手           
ソロフライトの導入を中心に制度全般の再検討を推進    
7月  オーストラリア ミルドウラで太平洋選手権開催 役員と選手参加 
10月  日本選手権を佐賀で開催  米国ニューメキシコ州アルバカーキ大会で高橋徹氏年間国際賞を受賞          
1995年 1月  阪神地震で被災、各国から見舞い   
4月  埼玉県羽生市で気球大会開催    
6月  マレーシア気球大会に大岩、市吉氏ら参加      
7月  米国バトルクリークで熱気球世界選手権開催、選手と役員参加    
8月  日本選手権北海道上士幌で開催           
諸外国の水準にあわせた操縦技能証明証の新審査基準を発表    
12月  連盟の機体登録制度の問題顕在化。関連で事務局長が交代 
1996年 3月  事務局 インターネットに連盟のホームペ―ジを開設  学生連絡会による選手権開催活動が活発化 
安全委員会 機体登録制度の運用、事故調査委員会を設置 インストラクター制度改革等の見直しを開始  佐賀空港開港後も熱気球の飛行が可能に(運輸省から佐賀県あてに通達) 
9月  トルコのカッパドキアワールドエアゲーム開催発表 
プレ大会に藤田、岩井、高本氏出場 


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